大判例

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東京高等裁判所 昭和44年(う)877号 判決

主文

原判決を破棄する。

被告人を罰金五、〇〇〇円に処する。

右罰金を完納することができないときは、金一、〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。原審における訴訟費用は、全部被告人の負担とする。

理由

〈前略〉

論旨は、まず、原判決が本件公訴事実、「すなわち、被告人は、昭和四一年一〇月一一日公務員労働組合共斗会議主催の公務員共斗第八次統一行動における集団示威運動に指揮班責任者として参加したものであるが、右集団示威運動に参加した前記共斗会議加盟の日本教職員組合員など約六〇〇名が、東京都公安委員会の付した許可条件に違反し、同日午後一時四六分頃から同一時五五分頃までの間、東京都千代田区霞ケ関三丁目二番地大蔵省正門前道路上において坐り込んだ際、同共斗会議議長笹川運平および同副議長曾我浩侑と共謀のうえ、右日本教職員組合員の隊列の先頭列外歩道上に位置し、隊列の方を向いて左手を数回上下に振つて坐り込みを指示し、前記共斗会議加盟の日本教職員組合員など約六〇〇名を坐り込ませ、もつて右許可条件に違反した集団示威運動を指導したものである。」との事実につき、関係各証拠を挙示したうえ、これらによれば、右公訴事実のうち、被告人が「右日本教職員組合員の隊列の先頭例外歩道上に位置し、隊列の方を向いて左手を数回上下に振つて坐り込みを指示し」たとの点を除いては、充分これを認定することができるとした点を捉え、原判決が被告人の右坐り込み指示の実行行為を認めがたいとしたのは、事実の誤認であるとして、原判決の右証拠判断にかかる説示を縷々論難する。とくに、原判決が被告人の右指示行為を現認したとする警察官証人の証人の証言を措信し得ない理由として、右証人らが右現認の際、その場にいた警察官相互の位置を明確に証言し得ないことを挙げている点に対し、警察官が犯人の視察に注意を集中しているときは、その間他の周囲の状況が注意の外におかれ、それが記憶に残らないことがあるとしても、何ら異とするに足りないところであるから、原審の採証態度は恣意的で、経験則に違反するものであると主張し、さらに、原判決が警察官撮影の写真の一枚に被告人以外の指揮者の一人が両手をあげている姿が写つており、これは坐り込みの指示行為と認められるから、これに右指揮者の証言等を総合、判断すると、右指揮者らがすでに坐り込みの指示行為をした以上、さらに被告人が自ら坐り込みの指示行為をすることはあり得ないとした点に対し、右写真の見方を誤つたものであり、かりに右指揮者らがさきに坐り込みの指示をしていたとしても、被告人の本件集団全体における立場からすれば、被告人がさらに重畳時に坐り込みの指示行為をすることは何ら不自然ではないと主張する。

そこで、本件記録を精査、検討してみるに、所論の指摘する被告人の坐り込み指示行為を現認したとする警察官証人は、鈴木信補、斎藤義政、鈴木春雄、加々見晃司、笠原虎之助の五名に上つており、しかもこれら証人の各証言の内容にとくに作為的と窺われる節が存在するというわけではないけれども、所論の指摘する被告人の坐り込みの指示行為自体、極めて短時間内のものであつて証人らの見誤りがなかつたとは必ずしも保しがたいものがあるし、とくに、原判決も指摘するとおり、原審において検察側から提出された本件集団示威運動にかかる警察官作成の写真撮影報告書添付の写真合計八一葉中、被告人が歩道上で左手を上下に振つた場面が撮影されているものは一葉も存在しないのである(司法警察員亀田博撮影にかかる写真は合計四一葉であり、このうち坐り込み場面にかかるもの一〇葉、司法警察員佐々木好三撮影にかかる写真は合計三四葉であり、このうち坐り込み場面にかかるもの一六葉、司法巡査金野秀次郎撮影にかかる写真は合計六葉であり、このうち坐り込み場面にかかる三葉である。)。そこで、右証拠に原判決が援用する証人笹川運平、同曾我浩侑、同田中圭吾、同森田逸雄の各証言中の関係部分を総合、考察すると、原判決の上掲警察官各証人の証言排斥にあたつての説示の適否の点はとにかくとして、被告人が左手を上下に振つて坐り込みの指示をしたという事実はこれを認定するに足りる証拠がないとした原判決の結論は、結局においてこれを是認せざるを得ないのであつて、その余の所論に徴し再考してみても、原判決に、右事実の有無について事実誤認があつたものとは認めがたく、結局本論旨は採用の限りでない。

つぎに、論旨は、原判決が被告人が笹川運平らと共謀して本件坐り込み行為をさせ、もつて東京都公安委員会の付した許可条件に違反した集団示威運動を指導したものであるとの事実を認定し、これが一応犯罪の構成要件に該当することを認めたうえで、右所為は社会的に相当な行為で違法性が阻却されると判示した点を捉え、右判示は法令の解釈、適用を誤つたものであり、その誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかであると主張する。

よつて按ずるに、刑罰法上構成要件に該当する行為が、刑法三五条前段の法令による行為、三六条の正当防衛、三七条の緊急避難の各要件に合致しない場合であつても、刑法三五条の趣旨に照らし正当行為とせられる場合の存することはこれを認めざるを得ないのであり、その判断基準としては、当該行為により達成しようとした目的の正当性、その目的達成のための手段方法としての当該行為の相当性ないし補充性の有無、当該行為により保護される法益と侵害される法益との均衡等を考慮すべきであることもこれを認めるに吝かではないが、他方、右判断基準を個々の案件に適用するにあたつては、それがいわゆる超法規的違法性阻却事由として刑法の正条に直接の明文根拠を有しない点にかんがみて、慎重のうえにも慎重を期し、かりそめにも恣意的と見られるような判断に流れて法秩序全体の精神に背馳する結果を来たすことのないよう厳に戒心すべきものであることも当然の事理に属するところである。以上の見地に立つて、原判示をみるに、原判決には、その理由四の(1)として国家公務員については、国家公務員法の関係規定により同盟罷業をする権利、団体協約を締結する権利が認められない代償措置として人事院が設けられ、給与改訂の勧告の任に当たることとされているが、その勧告は例年のようにその実施時期が遅らされており、本件当時の昭和四一年においても事情は同一であり、その完全実施をかちとろうとする気運が公務員共斗会議に起つたことは当然であるとしたうえ、さらに本件集団示威運動の経過、模様の説明として従来総理府においては右共斗会議からの申入れがあれば、総理府人事局長らが集団の代表者と会い、その際、二、三百名の組合員が総理府構内まで入構を認められるという慣行があつたにもかかわらず、本件発生当日には、総理府に先発した地方代表団約三〇〇名が入構を拒否されて総理府前に停滞するのやむなきに至り、さらに後続の本隊である右共斗会議の部隊も、その場に待機していた警察部隊に規制を受け、あまつさえ、暴言、暴行を受けるという結果を招来したので、予定コースに従い集団示団運動に移つたものの、右警察官の行為に対し組合員から不満の声が起こり、また、その要求もあつて、この際何らかの強い意思表明手段をとらねば、組合員の志気にも影響し本件の第八次統一行動自体の目的達成もおぼつかなくなるとの判断が本件坐り込み指示の共謀者らのあいだに生じたことが、本件所為の動機、目的の正当性を示すものとして掲げられているように受け取られるのであるが、右のような総理府における当局側の入構拒否の措置、あるいは警察官による規制が本件集団行動に参加した組合員らを刺激し、いわば組合員らからの突き上げもあつて、本件共謀が成立するに至つたという事情については、右の入構拒否とか警察官による規制などは、本件坐り込みの時点に立つて見れば、既に過ぎ去つた一つの出来事に過ぎず、また、組合員からの突き上げは単なる内部的な問題に過ぎず、要するにこれらの事情があつたとしても、大蔵省前においての原判示のような六〇〇名もの多人数による、一〇分にも及ぶ坐り込みの所為がその動機、目的の点において、罪責を否定される程度にまで正当化されるものとはとうてい考えられないところである。また、原判決は、坐り込みの時間は、当日の午後一時四五分ころから一時五三分ころまでの間であり(右坐り込み時間の認定は証拠上是認できるので、前記のように原判決が起訴状記載どおりの坐り込み時間を認定したのは誤記と認める。)、その態様からみても、とくに交通の阻害があつたとは認められない状態であつたとして、目的達成の手段、方法の点においても相当性が認められるとの趣旨を説示しているが、被告人、笹川議長らのあいだにおいて決意表明のため約一〇分程度の坐り込みをすることの共謀が成立したことは、すでにみたとおり、原判決の認定、判示するところであり、しかも本件坐り込みが午後一時五三分ころ終つたのは、原判決も説示するとおり、警察官による個人的要請、機動隊広報車からの警告を終たうえ、そのころになつて始めて警察部隊による規制が開始されたことによるものであつて、右のような本件坐り込み行為の態様等に徴すれば、手段、方法の点において相当であつたといえないことは勿論、原判決がとくに判示するように、本件坐り込み以外の方法によつてはその時点における集団意思の表明を行なうことを要求することは酷に過ぎるものであつたなどとはとうてい認めることはできない。さらに、いわゆる法益の均衡の点については、原判決は、被告人らの本件集団示威運動は、憲法で保障された表現の自由の行使であり、しかも人事院勧告の完全実施を主目的として掲げたものであつて、公務員として正当な要求活動であり、他方、本件坐り込みは時間的にはせいぜい七、八分間のことであり、その態様も車道占拠という実質的な障害の殆ど認められないもので、この程度の社会的不利益と本件集団示威運動と一体不可分の関係にある被告人らの本件坐り込みによる利益とを比較考量するときは、前者のような社会的不利益を受けない、交通についての国民一般の自由、安全などの利益の方が後者の眼目である国民の表現の自由に譲歩すべきであるとの趣旨を判示しているもののように解されるのであるが、すでにみたとおり、被告人らの本件坐り込みの所為は、その目的、手段いずれの点からみても正当性ないし相当性、補充性を認めることはできず、すでに予定のコースに従つて集団示威運動を行ない、表現の自由を行使しつつあつた被告人らの、いわば権利の濫用ともいうべき、許可条件違反の本件坐り込みにより、具体的な交通阻害の結果の発生はとにかくとして、交通秩序の維持という法益がそこなわれることとなるのは明らかであつて、かような結果を一般国民の側において受忍しなければならないとする特段の法律上の理由を見出しがたいので(原判決は、被告人らの本件坐り込み行為によつては、とくに具体的に交通阻害の結果を生じていない旨、繰り返し強調するところがあるが、その実行場所、継続時間が原判決の説示するとおりである以上、さらに具体的な交通阻害の有無を判定しなければ、本件犯罪の成否を決しかねるという筋合のものではないというべきである)この点にかかる原判示もまた当裁判所の納得しがたいところである。

してみれば、原判決が結局被告人らの本件行為は社会的秩序に反するものとはいえず、社会的に相当な行為として違法性が阻却され、罪とならないとして被告人に対し無罪の言渡しをしたのは、法令の解釈、適用を誤つたもので、それが判決に影響を及ぼすものであることは明らかであるから、原判決は破棄を免れない。〈以下省略〉(栗本一夫 石田一郎 藤井一雄)

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